(1997年秋の話)
「前年に母が亡くなり乳児の世話と娘の入園と長男の卒園入学が重なり
悲しむ間もない慌ただしい中での海外転勤の話
1歳、幼稚園児、小学校低学年の小さな3人の子がいた上に
ベルリッツに通っていた中での引っ越しは大変だった、、、はず
夫は先に赴任していて、それでもナントカ育児と引っ越しをやっていた
どうやっていたのか思い出せないほど、昔の事になってしまったけど、
頼る親がいなかったので、近所の方にずいぶん助けてもらった」
忘れないうちに続きを書いておこう。
引っ越しの大変さの他に小学校や幼稚園やご近所のお友達や先生とのお別れ会も忙しかったな。
渡航直前に夫が迎えに来て、成田空港には前夜から義両親と義妹家族と実父が見送りに来てくれた。
翌日11時過ぎ発のパリ経由のJALで赴任時のビジネスクラスに大量のオムツとミルクを持参し搭乗。
確かかなり遅れて離陸。
今のようなフラット椅子の個室のような席ではなく、広い椅子が1ー3ー1だったと思う。
周りは海外出張のビジネスマンの方ばかりで満席だった。
子ども達は特に騒ぐこともなく大人しくしていた。
と思うけれど、3人の子連れ家族を見た時は「えー嫌だな」と思われたかも。
12時間のフライトでパリのシャルルドゴール空港に到着。
日本時間の真夜中でヨーロッパは夕方。
乗り換えには余裕をもって3時間くらいあったはず。
更に2時間のフライトでバルセロナの夜=日本時間の夜明け前にやっと到着。
約17時間の長旅だった。
時差+ 疲れ + オレンジ色の外灯にナンダカふわふわした感じで新居に向かったのを覚えている。
スマホがあったらたくさん写真を撮っただろうけれど何もない。
微かな記憶だけ。
思い出したら覚えているうちに記録しておかないと。